■壱萬打お礼企画





         「触れたのは‥」
                            六花様




春だというのに、蝦夷では未だに雪が落ちてくる。

海風の所為で積もるほどではないが、やはりその寒気は本州とは比べ物にならない。



ちらちらと舞う粉雪の下で、ソイツは身体を丸めて額づいていた。

夕闇の中を花弁でも散らすが如く。

黒い軍服に小さな染みを作りつつ、雪が降り続く。

俺が近づくとソイツは顔も上げずに、またこちらも見ないまま「ありがとうございます」と言った。

「何が? だ」

「だって、先生でしょう? ここに塚を建てて下さったの……」言いながら立ち上がり、俺の返答を待つ。

「違うさ、島田が勝手にやりやがったんだ」

俺がそういうと徐に振り返り、何か言いたそうにくすっと笑った。

「お前に礼を言われる筋じゃない。

 もともとこの塚は俺のために必要だったんだ」

俺は今まで神谷が手を合わせていた塚に視線をやった。



己の命令で成敗した人物の、墓を立てることも憚られ、ほんの小さな土塊を積んだだけの小さな塚。



いつまでも冷たい気候。

動かぬ軍艦。

刀と槍の時代をのらりくらりと過ごして、いずれ何処かに文官としてでも仕官しようとしていた武家の息子など……

幾ら出世の為とはいえ、こんな殺伐としたところに来るには能わなかったのだ。

そんな腑抜けが、敵戦艦の砲弾の大音声に心を奪われ、眼の前の敵の銃撃の音に怯え、腰を浮かして我らが守る後列の更に後ろに下がろうとした。

気づいた俺はとにかくその前線を崩さぬように、それだけ考えて言い放った「これより勝手に退くものは斬る! 問答無用である!」

俺の怒号に驚いたのか、その者は僅かに後退さる足を止めた…が。

そのとき海側からまた爆音が上がり、ほんの十間ほど先の敵の鉄砲隊と我が隊の最前線との間に砲弾が落ちた。

幾つもの土塁が風爆に巻き上げられ、ちぎれた柵の木々が歩兵の頭の上を舞い落ちる。

その間にも敵からの砲撃は激しさを増し、その銃声が鼓膜を激しく刺激した。

半分その爆発の炎に腰を抜かしていたその少年のような兵士が、やはり後ろへ下がり始めた。

前へ行くのも、後ろに下がるのも、もうどうにも考え付かない様子で。

いち早くそれに気づいた神谷がそちらに走り、「隊に戻りなさい」立ち塞がる。

「敵前逃亡は切腹です! 前線に戻りなさいっっ!」

少年は蒼白の顔で何かを叫び、血迷ったのか、使い慣れない銃を捨て神谷に向かって抜刀した。





















「なんだぁトシ。呑んでいるなら声を掛けてくれれば……」

「あんたこそ、妓の所じゃなかったのか?」



勝ちゃんの笑顔はいつも変わらない。

俺がこの男にすべてを譲ってもついていきたいと思ったあの寒い夜から一体幾度こんな風に酒を酌み交わしただろう。

━━お前が欲しいのは『身分』か『誠』か!?

  『身分』はなくとも武士として誰にも劣らぬ心・技・体を磨き抜ければ、その『誠』は必ずいつか公方様に届くと俺は信じてる!━━

ぐうの音も出ないとはこのことかと、しみじみ思った。

俺はこのとき初めて、本当に初めて己で守り通したい『誠』がここにあると感じたんだ。

勝ちゃん、あんたのその『誠』に触れたからさ。

 

「赤子は元気か?」

「赤子って……あぁ、久しぶりに見に行ってみたらもうハイハイしていた」

俺は近藤の杯に酒を注ぐ「女子かぁ。なかなか出来ねぇもんだな、跡取りというのも」

「まぁ良いさ。

 道場の跡は、いずれタマに婿でも取らせるさ」近藤は杯を空ける。

「もう少しなぁ、年齢(とし)が近ければ総司が良いんだが、如何せんアイツは"沖田家嫡男"だ」

「俺がなってやろうか?」ニヤリ笑って言ってやる、「なかなかお得だぜ? なにせ地主の六男だ、男前だし」

すると近藤は杯を盆に投げ、「ふざけんなコノヤロー! お前に"オヤジ"なんて呼ばれたくねぇっっ!」俺の頭を抱え込んだ。

不意に、背後でコトリと小さな音がして柔らかな声色が聞こえる「楽しそうですね」

「おお、神谷君。

 君は休んだんじゃなかったのか?」

「はい、沖田先生に今一度お薬を飲んでいただいてから休みます」

神谷は俺に向かい、「お茶、ここに置きますね」 左の頬と口の端に出来た傷が痛々しげに歪む。

それから近藤に向かい茶を所望かどうか問いかけ、近藤が「頼む」というと一つ頷き座を立った。



「トシ?」

訝しげな近藤の声が耳を打つ。

「如何したぃ? ぼんやりして」

こんな時の近藤の声には労りの色がありありと見えて、俺はむしろ反発したくなる「如何したって? 何が?」

「いや、……」

判ってる。

アイツの後姿を追いながら、ぼんやりしていた。



勝ちゃん、笑うだろう。

アイツを見るたび、俺の胸が早鐘を打つなんて。

アイツの、ほんの小さな声を聞くたび、俺が耳を欹てるなんて……











ソイツはチビのクセに酷く生意気で、いつも落ち着きのないことをやっちゃァ俺に向かって
「童(わっぱ)ではありません!」なんぞノタマウのだ。

━━壬生浪士組では家柄・身分に関わりなく尽忠報国の志ある者を募ると聞いて参りました。

  志だけは誰にも負けぬつもりです!

  評議なさるなら私の『身分』ではなく『志』を!!━━

このときのソイツは、勝ちゃん…あんたと同じ目をしていたんだ。

だから言ってやった、「ふん、言うじゃぁねえか」

こんな童が。

そういうのを大言壮語って言うんだよ。

どうせすぐに音を上げる。

どこまでやれるか、見てやるさ……そんな気持ちで一杯だった。




だが厳しい稽古にも、過酷な隊務にも、(どこかで言っちゃァいるのかもしれないが)俺の前では一言たりとも弱音を吐かない。

幾つもの隊内外のいざこざや粛清などを経験した。

総司の話じゃそのたびにわんわん泣いて手が付けられないらしいが、そんなことは曖気にも出さずにいる。

そしてあの夜……





━━二階に総司と神谷がいる。━━

そう永倉に聞かされて、俺は必死で階を駆け上がった。

一階にも上から逃れてきた浪士たちがゴロゴロしていたが、総司と童だけでは手薄だと。

アイツめ、総司に負担を掛けていやがったら……

そのときこそ思い知らせてやるんだ、そう思って。なのに……

闇の中にきらめく刃を、汗と泪と、血にまみれた顔で振るっていたのは……



がぎぃぃぃんっっ!

闇の中で火花が散って、そのクソ力に圧されそうになり俺は必死で声を上げた「落ち着け、神谷! 俺だ!!」

「土方副長…!?」

まるで取り付かれたように異様な光を放っていた双眸が見る見る潤み、震える声で「お、沖田先生が…!!」

俺は昏倒している総司に駆け寄り、揺り起こす「総司っ!! しっかりしろ!!」

幸い総司は身内の熱のため失神しており、無理をすれば命に係るがそこまで到らずに済んだ。

この出来事から、俺の中でコイツを位置づけるナニかが変わった。



コイツは鬼だ、……コイツの内に、俺と同じナニかがあるんだ、そんな風に。






ソイツが幾度も泪を流す度、俺も幾つも大事なものを失った。



新選組を作り上げ、育て、守るために、俺は幾つもの命を斬って捨て…。

隊士たちが命を懸ける分、衣食住の充実と安定した給金と、そして身分を手に入れてきた。

一つ手に入れて二つ代償を払う。

必要と思ったものを手に入れて、自身の宝にも似たものを切り捨てる。



隊規で隊士を縛りつけ、まるで重箱の隅を突付くようなちっぽけなことから粛清の対象にした。

ほんの小さな綻びが今まで積み上げたすべてを崩していくと躍起になった。






「君の言っているのは理想論だよ。

   隊士はみな子供じゃない。厳しくすれば育つというものではないだろう」

「あんたの言っていることこそ夢物語だ。

 ここで生きるということは、寝ているときでさえ命を張っているということだ」

小さな小石が静かな水面に波紋を立てるように、「ほんの小さな間違いが、隊全体の士気に係わる。

 そんなことが判らねぇあんたじゃないだろう、山南さん」



一緒に組を立ち上げた芹沢を斬ると決めた時。

弛んだ隊を締め直そうと隊規を制定した時。

屯所の移転を決めた時。



事有るごとに「否」を唱えたのは山南だった。

俺は山南の、穏やかさが好きだった。

何処へいっても、相手が誰であっても、その変わらぬ柔らかさが好きだった。

如何しても、何かにつけて意地を張る俺とは正反対だったから、そしてそれが判っていながらそれこそに意地を張る俺だったから。



山南さん、あんたがその優しい口調で俺を糺してくれるのを俺はいつでもアテにしていたんだ。

あんたが問いかけるその一つ一つに、俺は答えた。

そうして何度も何度も自分の中で自分の理想を反芻して、そうして組を育ててきたつもりだった。

そんなふうに、あんたに包み込んでもらっていると俺は思っていたし、これからもずっとそれは変わらないと思っていたんだ。



あんたが逝っちまった今でも、俺はそんなふうに胸の中のあんたと話をしている……











「局長、お待たせいたしました」

「おお、すまんな」

見るともなく庭に視線を投じていると、傍らの近藤と戻ってきた神谷の声が耳に入る。

「今日の介錯は見事でした」

近藤がそういうと、神谷は膝前に手をついて「いえ、未だ未熟でございます」

「勘定方の手伝いをしていて、今回の仕儀になり巻き込まれてしまったと……」

「いえ、自身の不徳の致すところ。

 副長には大変失礼を申し上げました」

「なに、いいんだ」自身のことのように呟きながら近藤は、ずずっと音を立てて茶を啜る「コイツは……キミのようにはっきりとものの白黒を言ってくれる人間が必要なんだ」

「近藤さんっ」

「いいじゃないか。

 総司が病床にいる今、俺以外にお前のことを知る人間が幾人いるというのだ」

ふん、勝手にしろっ…吐いて捨てるように、俺は呟いて手酌の杯を煽る。





今朝、勘定方の出納帳簿と現金のモノが合わないと言う事件が有った。

ありがちのことだ。

はっきり言や、何文とか、何百文とか、そんな程度なら大したことにはならないはずだし、俺も一つ舌打ちをして補填させるだけで済んだ問題だ。

だが、今回見逃せなかったのは"会津藩の封印をされた小判ニ十五両"が二つ失くなっているということだった。

れっきとした"公金"である会津藩の封印などそんじょそこいらに出回るものではなく、きちんと出納帳簿に記されていなければならぬもののはずなのに。

昨日の夕食前に頼まれて勘定方を手伝った神谷は、その金は確かに箱に収められしっかりと錠が掛けられるのを見たという。

取調べに対して昨夜鍵番をしていた隊士は、自身の故郷の若狭へ送ったと言った。

病気の母を医者に診せ、またそのための投薬に高価な薬が必要だといわれて。

「だが、五十両する薬とは一体如何なるものか?」

問い質しても詳しいことは判らぬの一点張りで、口を噤むばかりであった。

「ですが、若狭であれば馬を飛ばせば二日で戻れるはずです。

 お金を取り戻して、元通りに補填することではいけませんか?」

神谷が提案する。

近藤がそれに頷きながら、「まだ幹部と勘定方以外には洩れていないようでも有るし、如何だろう土方君」

神谷の言い分も、近藤の言葉も含みながら俺は頷く。が、……

「まずは……

 局中法度第三項 勝手に金策致すべからず」

周囲にいた総司、源さんほか永倉・原田の顔が凍りつく。

神谷は身を乗り出して叫ぶように「副長っ!」と言った。

「仕様がねぇだろ? 薬に何十両も掛るなんて聞いた事がねぇ」

「でもそれは、故郷からそう頼まれれば送るしかないとは思いませんか?」

「お前、医者の息子だろ? 何処の国から取り寄せた薬が五十両するんだ。

 言ってみろ!」

「投薬以外に何かと入用なのは当たり前です。

 生活しているんです」

俺は呆れ返って溜め息を吐いた、「何処のお大尽が、生活に何十両も掛るんだよっ」 いい加減黙っとけ! 

「でも離れた母が困っていれば、そんな気持ちも判るではありませんかっ!」

「黙れっっ! ここでは人情論は要らん。

 その送った金が本当にヤツの母親のもとに届いているのかどうか判るのか?

 もしや周囲の者に踊らされて渡った金が会津藩の封印の小判だと知れれば如何いうことになるのか、お前に判るのかっっ!」

「それでもしてやりたいのが孝と言うものではありませんか」神谷は縋るような瞳でそういうと総司を振り返り、「先生も、何とかお取り成しを…」

「お金なら取り返しがつきます!

 でも腹を切ってしまえば命はお仕舞いですっ、副長っ」

「いい加減にしろっっ!!!」 俺は神谷の衿をつかむと引き上げて、思い切りその左の頬を張った。

神谷は部屋の隅まですっ飛んで行き、心配した総司が駆け寄る。

「お前は何処にいるんだ、神谷。

 ここは新選組だ、ここには金勘定だけやって喰っているヤツなんざいねぇんだ。

 己が身に携えている得物に命を懸ける武士(もののふ)だけの組だ。

 それが刀であろうと、算盤であろうと、懸けるモノは同じだ。違うってのか!?」

神谷は左の米神を押さえつつ起き上がると、やっと黙り込んだ。

暫く堪えるように唇を噛み締め、そうして数分後徐に口を開いた「介錯は、是非私に……」

俺は頷いた。

泣き出しそうでいながら歯を食いしばる神谷の腫れた頬を見て、胸中がひんやりと哀しくなった。





「頬はちゃんと冷やして置きなさい」

近藤は茶を呑みつつ、好き勝手に言いたいことを言うと「家に帰るよ」と言い残し、座を立った。

あわせて神谷は立ち上がろうとし、近藤に圧し留められた「ここでいい、ちょっとトシの相手をしてやってくれ」

「余計なこと言うなよ」

近藤の後姿を見送る為に身体を捻ると丁度後ろに座っている神谷に近づいたような気がして、俺はすぐに視線を庭に戻した。

そのまま神谷はジッと静かにそこに居た、まるで石にでもなったかのように。

「呑むか?」

俺がそう問うと、神谷は徐に頷き一杯だけと呟いた。

「そういうな、付き合えよ」

「いえ、呑むときっと…その、頬が熱を持って痛いので」

それもそうだと内心納得して俺は杯を渡した。

神谷は一口でそれを空け、盆の上に杯を戻した。



本当は今日の処分を、迷っていた。

切腹させるほど意味のあることなんだろうかと。

ただの、新選組の意地だけで、腹を切らせる意味が今更あるんだろうかと。

でもコイツが食いついて、その一つ一つの詰問に答えるうち俺はいつかのように自分を整理していった。

山南がいつもやっていてくれた役を、コイツにやらせてしまった。

総司はそんなことに気がついていて、「ダメですよ、神谷さんをあんなふうに殴っちゃ」

「馬鹿ヤロウ、アイツを止めなきゃお前が口を出さなきゃならねぇところだったじゃねぇか」

たとえ幹部だけとはいえ永倉や原田の前で、俺と総司の意見が寸分違うということも見せられない。

それは自身の弱みということではなくて『新選組』自身の弱みになるからだ。

「違います、あの成り行きでも"私の責任"にして"私を殴らなきゃ"いけないんです。

 土方さん、貴方は隊士たちの裁定を司ってる。

 だったら尚更感情的に一隊士を殴ったりしちゃいけないんです。そうでしょう?」

別に相手が神谷さんだから言うわけじゃありませんよ、そうも言った。



そんな会話を思い出しながら再び傍らの神谷を見遣ると、神谷はフッと表情を崩し柔らかく微笑んだ。

総司から同じ話をされたのだろうか。

大人びた表情。

けれど俺は詫びの言葉を飲み込んだ。

自身のやってしまったこと、自身が感情的に動いてしまったことを詫びることが出来なかった。

自分の刺々しさが山南の穏やかさに触れたときのことを思い出してしまって。

そしてそんな笑顔が、泪が出そうなくらい尊いものに思えたんだ。











月日は流れた。



江戸で、神谷は総司と別れた。

病で弱っていく自分を、神谷に見せたくないと総司は言った。



俺は流山で近藤と別れた。




別れとは一体何だろう?

姿が見えなくなるというのは一体如何いうことなんだろう?

姿がなくとも、俺は山南に意見を貰ったりしていた気がする。

総司がそばにいなくとも、俺と勝ちゃんが戦い続けることは変わらないと思って。




近藤の訃報を聞いたのは、会津での療養中のことだった。

戦闘中に撃たれた足の怪我の上がりが遅かったこともあるが、どうにも行軍中に風邪をこじらせたらしく身体が思うように動かない。

そんなある日の夕暮れに、部下の一人がくちゃくちゃになった瓦版の写しを携えて部屋に来たのであった。

━━ああそうだ、勝ちゃんはこんな顔してたんだな

そんなふうにぼんやりその晒された首の画を眺め、……

別れというのは、一体如何いうものなんだろう?

そんな疑問が己の内を駆け巡り、その渦の中から出られない。

流山で近藤と別れ、その手を放してしまって、「必ず助命嘆願する」と言いながら心のどこかで"それでは無理だ"と誰かが言った。

きっとこの手を放したら、今この流山を離れたら、およそ次に相見えることはないのだろうと。

いや、違う。

勝ちゃんが戻るまで新選組を守ってみせると、必ず再び一軍の将として近藤を迎えるために新選組を大きくしておくとそう心に決めて。



夜半、俺は神谷に呼び止められた。

僅かな月明かりの中でさえ眼の縁を腫らしているのが見て取れる。

厠へ続く廊下の上で、神谷は心配そうな面持ちのまま俺を引き止めた。

「眠れないのですか?」そう、神谷は俺に問うた。

「皆は?」

「近藤局長の通夜だといって、」神谷は俺に寄ると、少しこわばった笑顔で俺の肩に綿入れを掛けた「呑まずには居られなかったようです」

「お前は? 呑まなかったのか?」

「私は……」訳をはっきりとは口にしない、「"トラ"ですから」苦く笑う。

「お部屋に戻って下さい。風邪が酷くなってしまいます。

 副長、お酒…少しお持ちしましょうか?」言いながら少し視線を逸らせて誰にともなく呟く「泣いてしまったほうが身体が楽になります」

「泣く? どうして?」

俺が訊き返すと神谷は不思議そうに俺を見上げ、「だって…局長が……」

「武士(おとこ)は泣くものではないと仰るかもしれませんが、皆判っていますもの。

 こんな風に哀しい時は泣くものです」

そう言われ、"こんな風に"とはどんな風かと、俺の頭はまた疑問の中に取り込まれてしまった。

「こんな風って、どんな風に哀しいって言うんだ」俺は廊下から、造られた庭に視線を流す。

「流山で別れたときから、近藤の姿は俺の傍らになく、これからもけして俺の傍にくることはない」

  それだけのことじゃないのか? 

ただの疑問だ。

そう呟き、眼をやると童が大きな瞳に泪を溜めて俺を見上げている……

不意に俺は己のどこかが震えるのを感じた。

唇を噛み締めて泪を拭うその細い手首を取ると、俺はそこいらの妓にするように、神谷の腰を引き寄せて覆い被さる。

やっぱり未通女だ。

唇を合わせているだけで身体を硬くして、呼吸することも忘れている。

俺はその唇を強く吸い、無理矢理神谷の舌を吸い出した。

ん…んん……と小さく呻きながら、舌を絡めあううち腰が崩れるように廊下の壁へ倒れこんだ。

俺は荒い息を吐きながら神谷を見下ろす。

小さな身体が震えながら俺を見上げ、瞬きもせずにぽろぽろと大粒の泪を流して。



「同情なら要らない!

 半端な慰めなんて真っ平だっっ」

俺はその場を足早に離れた、泪が…溢れてしまって……。

アイツの顔が見られない、だから。




















「斬ってしまったこと、後悔していないんです」

粉雪が舞う。

神谷は静かに、塚にでも言い聞かせるように呟いた。

「最後の最後まで、徳川様のために…武士の意地を張り通すんだと、いつも言っていたじゃありませんか」局長も、沖田先生も……とは言わない。

「ただこの人の年齢を自分と重ね合わせると、」ふふ、と笑って続ける。

「まだ、十七だったんですって。

 桑名のお国柄で、文筆だけではご恩に報うことが出来ないといって今回の戦に参加されたと」

泣いてはいない。

立ち上る吐息が白く夕暮れの空に光る。

「お前は十六の時に池田屋に踏み込んだ。

 それに比べりゃこんなヤツ腰抜けだ。

 お前は"新選組"隊士になったその日から、堂々と前線で闘えるヤツだった」

「そんな……、買い被りです。

 池田屋のときも禁門の変のときも、新選組の皆がいてくれたから……」

総司に憧れ、近藤の人柄に惚れ、それだけのためにここまでついて来た。

恋をして、そいつのためにがんばってきたんだとは、一言も言わず。

帰る場所も、恋しい男も亡くし、今ここにいる。



「雪が溶ける頃に大和屋が船を出すというんだ、江戸まで」

お前、帰るか? そう問おうとして口を噤んだ。

神谷が微動だにしなかったからだった。

つかの間の沈黙の後、神谷は俺を振り返り「それで?」

それで……

「それで、鉄之助を使いとして江戸に送り返そうと思う」

神谷は頷く、「良いと思います」市村さんは若すぎるもの…そう続く言葉を飲み込んだ。

「お前は?」

「はぁ?」

苦虫を噛み潰したような渋面で、神谷は言う「今更放り出さないで下さいね!」

俺は何となく安心して、膨れっ面を懐に寄せた。

抱きしめてみたくなった、そう言ったらどんな顔をするだろう? そう思って。

「一緒にいさせてください。

 ほかに行くところも、行きたいところもないのです」



優しく触れ合うよりも、いつも額を擦り合わせていがみ合っていたほうが多かった。

でも、勝ちゃんも総司ももういない。

いつの間にか俺のことはお前が一番良く知っていて、お前を一番頼りにしている。

これ以上に甘えていいのだろうかと思いつつ、俺の口からはこんな言葉しか出なかった「俺が死んだら……」

「俺が先に逝ったら、迷わずついて来い」

懐で小さく、それでもはっきりと頷いた。





明治二年 四月晦日

新政府軍の総攻撃まで、あと十日余り━━





                       《了》













*** あとがき ***


《風光庵━huukouan━》のカウンター壱萬打お礼企画で書かせていただいたものです。
いつもお引き立てくださるsarasaraさんからリクを頂戴いたしました。

「触れたのは・・」

物理的に指先が「触れる」もの。
言の葉が「触れる」もの。
心に「触れる」もの。

新選組を結成した当時、歳三にとってそれらは全部仲間であり、親友であり、弟分であって。
それらがすべて過ぐる時とともに他の人物や事物に変わっていく、
そんな物語を書きたいと思いました。
物理的でない分、なかなか抽象的で長い物語になってしまいましたが、
私としては(手前味噌ですが)気に入っている物語の一つです。


新選組を最後まで率いて、
遠い北国で逝った歳三とそれを支えようとしたセイちゃんを、
著せていれば良いなと……。



sarasaraさん この度はありがとうございました。

これからもどうぞ《風光庵━huukouan━》をご贔屓下さいませ。









『風光庵』様の壱萬打御礼企画の際に、【お題】の中からリクさせて頂きました。
私が選んだのは「触れたのは‥」

字面通りに「触れる」ことなのですが、「触れる」というと「琴線に触れる」という言葉を連想します。
その言葉を思い浮かべながらのリクでした。
何と言いましても書き手は六花様なので、どんな切り口で書かれるのか楽しみにしておりましたvv

そして仕上がった作品は……今、お読みいただいた通りでございます。(ほううっ)-з
六花様のお話はいつも鮮やかな色、風景を描き出し、いつも読後は ほううっ としてしまいます。
圧倒されて何も考えられなくなってしまうのです…。

このお話の歳とセイちゃんには“男女”を超えた“人間”としての絆を感じます。
男女を意識させることなく、恋だの愛だのを語るでもなく
それでいてこんなに胸が締め付けられるのですから……堪りません。

六花さまの蝦夷のお話が実は好きなのです。
歳の本領はそこで一番発揮できたのだろうと思うし、また六花様の歳が格好いいのです、凛として。
蝦夷と聞くだけで物悲しくなってしまうのですが、それにどっぷり嵌ってしまいたいと思えるから不思議です。(^^ゞ

このお話のラスト、「俺が先に逝ったら、迷わずついて来い」の歳の言葉に悶えましたvv
もう私は大満足です。

六花様、とっても切ないそして胸に響くお話、どうもありがとうございました。m(__)m
いつもお相手して下さり、感謝していますvv
そしてこちらの方こそ、これからもよろしくお願いいたします。




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