れんぎょう  
                         桜子様

 






中壺に面した小さな書院に女が静かに座している。
スッとのびた背筋がどこか憂いを含む。
その姿は薄墨の喪服を身につけつつも、いっそ清しい雰囲気だ。
暦の上は春だが、風はまだ冷たい。日差しもやわらかとは言い難く、冬の風情をありありと見せつけている。
しかし中壺には梅の花が蕾をつけていた。
女は黙って冬の庭を眺めている。


〈あれは穏やかな春の日だったな…おまえは覚えていないかもしれないが〉
母が逝った日の事を兄から聞いたことがある。苦しいだろう病の床に伏しながらそれでもニコリと笑って逝った。
気丈な人だと、兄は言いながら静かに笑んだ。
「私はそれを覚えていないの」
 ただ一つ、いきなり帰ってきた父に、訳もわからず噛みついたことは覚えている。
そしてその兄も今は父と共に鬼籍に入った。
女の目に涙がこぼれる。
「幸せだったの?」
 誰もいない虚空に問いかける。
 ポトリ…ポトリ…
 涙はとめどなく流れ落ちた。
 そして帰る場所をなくしてしまった自分に、弔いの場所を与えてくれた亡き恩人への思 いが、女の気持ちをよけいに切なくさせた。



 男は行き慣れた道を歩いていた。いつものように茶屋に着くと、主を呼んだ。
「あぁこれはこれは」
「すまんな…また邪魔しにきた」
「なんの、御遠慮なさらずに。庭も愛でるお人がいないと寂しいもんですやろ。あぁ今、 隊の方がお一人お越しになってはります」
「隊の者が?」
「えぇ、あの方が時折、お連れになっておられました」
 主の一言を聞いた男は瞬間的に強ばらせた表情を和らげた。
(来ていたのか)
 まさかこんな所で鉢合わせとは…と心の中で苦笑した。
「どないされますか?」
「いや、かまわん」
「ほな離れへ」



 主の案内で男は母屋と離れをつなぐ渡りに立っていた。
 冬の名残を残す風がサワリと通り、ほのかに梅の香を空へと運ぶ。まるで空の住人へ季 節を届けるように、それは静かに薫っていた。
男は静かに目を伏せた。
ここにはいなくなってしまった男。
「息を詰めるとロクなことにならないぞ。今の君には息をつくのも必要だよ」
 記憶の中で今もそう助言を続けている。
「ほな私はここで。御用があいましたら遠慮なく」
 茶屋の主は男に会釈をして、渡りを後にした。男はその後ろ姿に軽く頭を下げ、静かに 襖を開ける。
今その部屋にいるのが誰かわかりながら…
 
 その人は薄墨の着物を身につけ、香を焚いていた。部屋にはよい香りがしていた。こち らに気が付くことはないまま香炉を書院棚に置く。
総髪で一つのたぶさに括られた髪に女物の薄墨の着物、その唇にはほんの少し紅をつけ て、いつもと違う雰囲気だった。
薄墨の着物に白い項が栄えて男の目を引く。髪を触る仕草もどこか艶めかしい。

「セイ」

 静かにかけられた声に女はゆっくり振り返って、驚く。
「副長…」
「おまえも来ていたのか…」
「はい…母の十三回忌でしたから。それと山南先生の」
「一周忌だな」
 セイはコクリとうなずく。
「でもこんな姿を見られてしまうなんて」
 恥ずかしいのか、思わず座を立とうとするセイを土方は引き留め、そのまま腕の中に引 き寄せる。
「おまえのそんな姿が見れるなんて思いもよらなかった…」
 そのまま唇を耳に寄せる。触れるだけの行為にセイの胸が高鳴る。
「歳…三様…こそ、どうしてここへ?」
「息抜きによく山南さんに連れてこられたからな…おまえは? って聞くだけ変か」
「歳三様?」
 土方の腕の中でセイが顔を上げる。
「家、近くだったんだろ?」
 意外な一言にセイが目を丸くした。
「…知ってみえたんですか?…」
「まぁな…お里さんにも少しは聞いたが」
 女を抱き留めながら、照れくさそうに頭をかく。
新選組に入った時からすべてを捨ててきたセイに、山南は不憫さを感じたのだろう。
たぶん自分の時と同じように外の用事を作っては、こうしてこの離れに連れてきたのだろうと。
それを考えたら自分はなんと不甲斐ないのだろうとさえ、土方は思った。
「今日は大切な日だったな…」
「ごめんなさい」
 セイはそうつぶやいてまた胸に顔を埋める。土方はそれをただ黙って抱きしめ続けた。



 そうして半刻ほど経った頃、ふいに女が口を開く。
「母は幸せだったのだろうかと、ふと思ってしまいました」
「うん?」 
「中壺の梅を眺めながら、江戸で父を待ち続けた母はどんな気持ちだったのだろうかと」
「おまえはどう思ったんだ」
 土方は少し身体を離してセイを見た。セイは伏し目がちに静かに首を振る。
「よくわかりませんでした。でも…」
「でも?」
 うつむき加減だった顔をゆっくり上げ、
「でも私なら言われて待ってるようなことはしません。たとえどうなってもついていきま す。たとえ子がいても」
 明確に自分の意志を伝えた。たぶん母は幸せだったのだろうとセイは思っていた。
でも待つことが一番の良策だとは思わない。
「女にだって運命を選ぶことができてもいいでしょう?」
 置いてきぼりは嫌だから…
 最後の言葉は男の耳にささやく。たぶんこれが本心なのだろう。
否応のない別れが不自 然な形で起こり、たった一人取り残された彼女。
「セイ…」
 土方は女の目を見つめながら顎を持ち上げ、
「俺はおまえを置いていかない」
 その答えを返す。それが偽りのない土方の気持ちだった。
自分だって手放せるわけがな いのだ。たとえ子がいたとしても。それは矛盾した気持ちだというのはわかっている。
 それでも偽れない気持ちだった。
 土方はそのままで庭に視線を移す。いつか山南が言った言葉を思い出していた。
「花は一生懸命、愛でてやらないと咲かない。そしてそれがまた次へとつながる」
 あの時はなにを意味するのかわからなかった。でも今はわかる。
 仲間を失って初めてその言葉の意味を噛みしめる。
〈よろしく頼むよ〉
ふとどこかで山南の声が聞こえた気がした。



〈母上は気丈な人だった〉
 兄の言葉を思い出す。父を待ち続けて、約束の日が過ぎてとうとう一緒に暮らすこと がなかった。でも幸せだったのかもしれない。
一人の男を思うということがこんなにも強いものだとは思わなかった。
見えない父母の絆が少しわかるような気がした。

 そしてどちらともなしに唇を寄せて、思いを確かめる。

 薄墨の着物に好きな香を焚く。
 ほんの少し紅をつけ、その傍らには…

 冬の名残の風が花の香りと共に空の待ち人へと運ぶ。





    ―こぼれ落つ 露の鏡に 花うつる―















「花津月」の桜子様より、素敵な御品を頂戴しました。

このしっとりとした落ち着いた雰囲気… 流石でございます。
山南さんが一役買った「逢瀬」
現実から離れたところの二人の間が素敵です。

そして同じ女として母を思った時、幸せだったのだろうかと考えのですよね。
何しろセイちゃんは「男」になって組に入ってしまうほどの行動力ですもの。
ただ待つだけだなんて出来そうにないですものね(苦笑)
そして歳もそんなセイちゃんの想いを酌んでくれそうな気がします。


文末の句は桜子様作です。
「草に宿った露の玉が葉や手水にこぼれ落ち、鏡のような水たまりを作る。
それにうつる花がまた美しい事よ」
解釈はご自由に…と仰ってくださったのですが、
桜子様がつけてくださった解釈を元に、いろいろと連想するのも楽しいです。


桜子様、この度は、とても素敵な御品をどうもありがとうございました。m(__)m
今後もどうぞよろしくお願いしますねvv














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