覚 心
おかしい…
総司は何となくそう思っていた。
自分へと向けられる視線がどうもいつもと異なるような気がする。
憐れむような、それでいて好奇心を隠せないような、そんな視線だ。
そして、総司と眼が合うと皆、慌てて逸らすのだ。
ただ、変わらないのはセイだけだ。
総司に対して口煩く言ってくるのもいつもと変わらない。
「沖田先生、もう時間ですよ。早く稽古場に来て下さいっ。」
そう言ってずるずると強引に総司を引っ張っていく。
総司はそんなセイの様子にほっとしつつも、何故だろうと気にかかっていた。
自分一人でもそうだが、特にセイと一緒にいる時の方が、より視線を集めているような気がした。
しかし元来そういう周囲の雰囲気や機微に関心が薄い総司には、何となく違うような気がするだけで、
その理由を突き止めようとまでは思わないのだった。
これが総司ではなく別な者だったら、もっと早くにその違和感に気付いていただろう。
そして不思議なことに、この事についてはセイ自身もまったく気にかけていないようだった。
いつもなら総司より早く気付き、その原因が何であるかを真っ先に探るはずなのに。
かといってセイの様子に変わったところがある訳でもない。
一体、自分達の何が周囲の注目を集めているのか、総司にはさっぱりわからなかった。
しかし、そんな総司にもその原因が何であるかを知る時がきた。
「最近、神谷のやつは落ち着いてきたなあ。」
ぼんやりと歩いていた総司に声をかけてきたのは原田である。
「そうですかねえ…。」
上の空で総司が答える。
「やっぱり所帯を持つとなると違うよなあ。俺もそうだけどよ。あはは。」
豪快に笑う原田の顔を見る総司の眼が光った。
「所帯?」
「そういうことだろうが、見合いをするってことはよ。」
「見合い、ですか?」
原田は話が噛み合わない総司を怪訝な顔で見た。
「もしかして総司、おめえ、知らねえのか?」
「何をですか?」
「いや、神谷の見合いの話をよ。」
神谷さんが見合い・・・? 総司の動きが止まった。
「やっぱり知らなかったんだな。」
原田が呟く。
「いつも一緒にいるから、てっきり神谷から聞いてると思ったんだが。」
「いえ。…聞いてません…。」
総司の声は細く、風にとばされてしまいそうだった。
「それでいつなんです? その見合いって。」
「さあな。俺もそこまでは聞いてない。」
そう言ってから原田は
「ま、神谷がお前に言わなかったのはきっと照れくさかったからだぜ。あんまり、気にするなよな。」
総司が元気がないのを気にしてか、急いで付け足した。
そして総司の肩をぽんと叩くと、じゃあな、と片手を挙げて行ってしまった。
(神谷さんが見合い…??)
取り残された総司は、そこに突っ立ったままぼんやりと考えていた。
(お里さんがいるのに、どうしてまた見合いなんて…。)
そう考えて総司は、はたと気付く。
(そういえば神谷さん、女子でしたっけ?)
ずっと一緒にいて、もう男であるとか女であるとか関係なく、一人の人間「神谷さん」という認識しかなかった。
(女子なのに見合いをするだなんて…。神谷さんときたら、まったく無茶ばかりするんだから。)
総司は深い嘆息を漏らした。
どういった経緯でセイが見合いをすることになったかはわからないが、多分、また余計な事に首を突っ込んだのだろう。
そして已むに已まれぬ事情で見合いを断れなかったに違いない。
今頃はどうやってその見合い話を断ろうか、悩んでいるのではないだろうか。
結局、最後には自分に泣きついてくる羽目になるんだから、と総司は苦笑する。
だが、面倒なことを、という思いとは裏腹に、総司の心は軽くなっていたのだった。
部屋に戻りながら、セイの姿を探していた総司の足が止まった。
聞き覚えのある声に、そっと足を忍ばせて近付いてみる。
「本当にそれで良いのか? 神谷。」
「はい。兄上。」
総司の目に入ってきたのは、腕を組んでしかつめ顔の斎藤と、その斎藤に微笑で答えるセイの姿だった。
「すみません…。斎藤先生にはいろいろと相談にのって頂いたのに ―― 。」
「いや、俺は構わんが。」
一度言葉をきって、斎藤はまた続ける。
「沖田さんには相談しなくて良いのか?」
「いいんです。」
セイが強い口調で斎藤の言葉を遮った。
そしてそのきっばりとした物言いにセイ自身驚き、慌てて言い足した。
「すみません。ほんとにいいんです。……。」
期待するだけ無駄だし…、セイの口の中へと消えていった言葉は、斎藤にはそう聞こえた。
「では私はもう行きますね。」
にっこりと笑ったセイの笑顔が痛々しく思える。
斎藤は走り去るセイの後姿をじっと見つめた。
「そこにいるのは沖田さんだろう?」
セイの姿が見えなくなると、庭の茂みに鋭い視線を送り、斎藤が言った。
二人の会話を幾許かの動揺を隠しつつ、じっと息を潜めて見守っていた総司だが、
斎藤の言葉に観念したのか、すっと姿を現した。
「流石ですね、斎藤さん。最初から気付いてたんですか?」
否定しないということは肯定なのだろう。
総司は斎藤に返事など期待していないかのように先を続けた。
「斎藤さんは知ってたんですね…神谷さんの見合いのこと。神谷さんがさっき相談していたのはそのことなのでしょう?」
いつものように笑顔で言い切った筈なのに、総司は自分の頬が張り付いて固まってしまったかのような錯覚を覚えた。
「そうだ。」
斎藤は今度はきっばりと答えた。
ずきんと胸が痛んだ。
セイが斎藤に相談するのは今に始まったことではないし、セイが斎藤のことを兄のように慕っていることも承知している。
それに自分だって、斎藤に相談した方がよりよい解決策を見出せるような気がする。
だが…。
「みずくさいじゃないですか。どうして教えてくれなかったんです?」
総司は胸に広がる鈍く重い痛みから気をそらすように、努めて明るく言ってみた。
「俺がわざわざ言うことでもないからな。」
斎藤は相変わらず仏頂面だ。
元々愛想の良い男ではないのだが、今日はいつにも増して機嫌が悪いように思える。
何もかも見通してしまいそうな斎藤の視線に晒されていると、総司はだんだんと落ち着かない気持ちになってきた。
「それで、神谷さんの相談事って一体何ですか?」
「それを聞いてあんたはどうするつもりなんだ?」
逆に総司が問われる。
「どうする…って…。どうせ神谷さんのことだからその場の勢いで引き受けてしまったんでしょう。見合いを断る相談じゃないんですか?」
答えてくれそうにない斎藤に総司は自分の考えを言った。
その場の勢い… あながち間違いではない。
実を言うと、見合いの話はセイだけにきたわけではない。
総司かセイか、どちらかという話だったらしい。
偶然にも総司よりも早くその情報を耳にしたセイが、総司に見合いをさせたくない一心で引き受けてしまったものだ。
斎藤はセイのその想いを見通していた。
だから数日前にその見合い話を駆け引きに使ったらどうかと、セイに提案したのだ。
セイの見合いの話を聞けば、いくら野暮天総司であろうとも何らかの反応をするはずだ。
悋気の一つでもおこしてくれれば、願ってもないことのはず。
しかし、セイは笑っただけだった。
「生憎だが、断るつもりはないらしいぞ。」
「そんな! だって神谷さんはお。」
総司は慌てて口を押さえた。
それは斎藤も知らないことなのだ。うっかりと口を滑らせる訳にはいかない。
「お?」
斎藤が訝しげに総司を見る。
(しまった…。斎藤さんは神谷さんの秘密を知らないんだった。)
「……。だって神谷さんには、お里さんがいるんですよ。それなのに見合いなんて。」
斎藤の鋭い視線をやや外して総司は答えた。
そして内心の動揺を悟られまいと、息を呑んだまま斎藤の言葉を待った。
「確かに、お里さんのことは大事だろうな。」
斎藤の顔が一瞬曇った。
「だが、縁談とはそういうものだ。」
本人の気持ちとは別なところで動いていく。
総司にもそれはよくわかっている。
セイの縁談…
それは総司もよく口にしていたこと。ただし、女子としての話だ。
早く組を抜け、いい人と所帯を持って幸せな暮らしを…。
そう望んでいたのは自分なのに。
男としてのセイにその話が持ち上がったと知って落ち着かない気持ちになったのは何故なのか。
それは所詮無謀な話だと、セイの身を心配することとは何かが違うような気がする。
「いい加減、神谷を解放してやったらどうだ?」
何やら真剣に考え込んでいる総司に向かって、斎藤が切り出した。
総司は、はっと驚いて斎藤を見る。
「あんたのその中途半端な優しさが神谷を苦しめてるんだぞ。」
斎藤の声が鋭く総司の胸に突き刺さる。
斎藤にしてみれば先刻のセイの心情が不憫に思えてならない。
セイの総司への想いは自分のセイへのそれと同じなのだ。
代われるものならば…そう思っても所詮かなわぬことと承知している。
いつもより厳しい口調の斎藤は容赦なく続けた。
「神谷の気持ちを知らないとは言わせない。」
総司はぎゅっと奥歯を噛み締めた。
斎藤の言う通りだ。
セイの気持ちに気付かなかったというのは嘘になる。
だが、気付きたくなかったというのも本当だ。
セイの気持ちも周囲の反応も、心の目を瞑ってしまえば無かったことに出来る。
総司にはもう捧げた思いがある。
この人のために、と剣に励んだ今までがある。
そのために何もかも捨てようとした決心を変えることは己の信に反する。
しかし、セイのことは…
(いつの間にか神谷さんは、家族のように一緒にいるのが当たり前になっていたんですねえ…)
近藤や土方のように、総司にとって最も近しい存在になっていた。
「いつまでも子供ではいられないんだぞ。あんたも神谷も、な。」
総司が何を思っているのか、まるで何もかも知っているかのように斎藤は言う。
「いい折だから、あんたも覚悟を決めるんだな。」
そう言い残して斎藤は立ち去った。
セイの見合いの話を聞いた時から総司の胸を覆っているもやもやとしたもの。
総司自身は気付かぬふりをするつもりだった。
だが図らずも斎藤の言葉で、それと向き合わざるを得なくなった。
(簡単なことなんです。私が神谷さんを放せるか、放せないか。それだけなのに ―― )
総司は空を見上げた。
ゆっくりと動いていく白い雲を眺め、目を閉じる。
再び目を開いた時には、総司の心は決まっていた。
そしてそれを伝えるべく歩き出す。
一番も二番も変わらない。
それでも良いとセイが言うのなら…
共に歩いていけるかもしれない。
セイの泣き笑う顔が目に浮ぶようだ。
そして一番隊の面々の笑顔も。
自分のことのように総司やセイを心配する者達。
そういった周囲の真心の中で自分は生かされているのだ。
笑みが零れた総司の先には、セイの後姿が徐々に大きくなってきていた。
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