当 惑
― 破 ―
「早かったな。」
室内に入ってきたのは見目麗しい若者。
土方は書き上げた書状から目を離さずに声をかけた。
「早かった?…遅かったの間違いでは?」
土方の言葉に怪訝な表情を浮かべ、若者が訊き返す。
「そうか?」
「……今何時だ?」
土方はちらりと若者に視線を投げ、その問いを軽く受け流して逆に問うた。
「六つですが。」
「そんなになるのか。・・・まぁいい。総司を呼んでくれ。」
「かしこまりました。」
一礼して若者が部屋の外へと姿を消す。
他に誰もいない室内、土方は肩に手をやり軽く首を回した。
さきほどの若者、実は土方の小姓である。
名を神谷清三郎という。
神谷は元は一番隊の所属だったのだが、今は或る理由で土方の側で仕えている。
入隊してから随分と経ちもう古参の部類に入るのだが、相変わらず身体つきは華奢なままだった。
声も同年の者より少し高めで、容姿も女子のように可愛らしいものだから、
「色事」の対象として彼を見る者も一人や二人ではなかった。
ただ神谷自身は自分がそういう目で見られているという自覚は持っていないようだ。
そしてその事が彼にごく近しい者にとっては心配の種であり、目を離せないところでもあった。
実際、神谷を巡っての騒動もおきているのだから、心配は当然であろう。
「早かった…か…。」
土方は独り言ちた。
思わず出てしまった言葉だった。
最近どうも気詰まりでならない。どこがどうとはっきりしている訳ではないのだが、落ち着かないのだ。
近藤や沖田といった気心の知れた者以外と、こんなに始終一緒にいることに慣れていないからなのかもしれない。
暫時独りになりたくて、土方は神谷を使いに出したのだった。
それもあえて時間のかかりそうな所へと。
神谷に行かせた店の手代は人懐っこくて話好きだった。
土方も行く度に捉まっては世間話に付き合わされているのだ。行けば神谷も例外ではないだろう。
そしてその思惑はあたり、少しの間ではあるが土方に独りの時間を与えてくれたのだった。
その折角の独りの時間を、無意識にしている溜息と考え事に費やしてしまったのは土方としても予想外だっただろう。
思ったより時は早く過ぎ、土方の心の準備が出来る前に神谷が戻ってきてしまった。
土方はまた大きく溜息をついた。
事の発端は一月ほど前。
道場の前を通りかかった土方は、ふと足を止めて中を見た。
中では一番隊が熱心な稽古に汗を流していた。
目に留まるのは小さな身体をすばしこい動きで補い、懸命に戦う神谷の姿である。
奇襲戦法が効いているうちこそ相手から一本、二本と奪ったが、正攻法では明らかに不利だった。
相手の繰り出す竹刀を受けるのが精一杯で、ともすれば、持っている竹刀ごと弾き飛ばされてしまう。
それもこれも華奢な身体つき故に。
動きも太刀筋も悪くはないのだ。
だからこそ、余計に惜しいとも思う。
「ありがとうございました。」
立ち合いを終えて礼をいう神谷の声を背後に聞きながら、土方はその場を後にした。
その日、土方が再び神谷を目にしたのは、一番隊組長である沖田と神谷が木陰で仲良く語り合っている時 ―― 。
「…だから言ったじゃないですかっ!怪我をしますよ、と。」
「はははは。…私としたことが、少し油断しましたかねぇ。」
「油断したとかしないとか、そういう問題ではありません!」
通りかかった土方の耳にはっきりと聞こえてくる、神谷の怒鳴り声とそれを軽く受け流す沖田の笑い声。
土方は足を止めて、声のする方へと向き直った。
丁度、神谷が何かぶつぶつと言いながら、沖田の手首の辺りに白い布きれのようなものを巻きつけているところだった。
沖田が何か言ったらしく、神谷が布を巻いている手を止め沖田を軽く睨みつけた。
「ごめんなさい、神谷さん。…もう言いませんから、……機嫌を直してくださいよ。」
沖田の声が途切れ途切れに風にのって聞こえてくる。
土方は眉を顰めた。
その口調、仕草、雰囲気等はまるで男女の痴話喧嘩のようではないか。
この二人が組内で噂になっていることは知っていた。
土方自身は衆道の仲というのを肯定している訳ではないが、他人がどうこう言っても仕方ないことでもあるので、
己に係わりない者同士のそれについては、関知しないことにしていた。
だが、沖田についてはそういうわけにはいくまい。
見す見す衆道に走らせるわけにはいかない。
世の中に女子は沢山いるのだ。
何も同じ男を選ばずともよいではないか。
例えその相手が心根の良い、女子のように可愛らしい奴だとしても…。
(ん!?…女子のように…?)
(………。)
土方の頭の中に、ひょいと浮かんだ考えは素晴らしい名案に思えた。
土方はもう一度沖田と神谷を見遣り、暫く何やら考えこむ風にそこに佇んでいたが、
くるりと向きを変えて歩き出した時には、揺るぎない決意を秘めた鋭い光が眼に宿っていた。
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