「俺にするか?」
何の前触れもなく土方が言った。
その言葉に面喰ったセイが何も言えずにいると、
「俺がお前に惚れてる、って言ったらどうする?」
本気とも冗談ともとれる口調で土方が続けた。
「え?」
セイの眼が大きく見開いた。
その大きな眼を土方は正面から受け止める。
「あ、あの…、冗談……ですよね?」
挑むような土方の視線に先に耐えられなくなったのはセイの方だった。
思いがけない土方の言葉にどうしたら良いのかわからない。
冗談ならよい。腹は立つが笑って済まされることだ。
だが本気ならばどうする。
当然だが考えたこともなかった。
セイの心の中には既に想う人がいるのだから。
セイは乾いた喉の奥がひっつきそうになるのを感じながらも、この居心地の悪い沈黙を打破しようと声を絞り出した。
困ったような引き攣った笑みを頬に張り付けたままのセイから、
ふっと自嘲気味に笑って、ようやく土方は視線を外した。
「さあな。」
セイの問いかけに答えにならない言葉を残し、土方は足早に立ち去った。
セイは呆然としたまま、しばらくそこに取り残された格好になった。
あの時の土方の真意は、未だわからない…。
卯 の 花 月 夜
冗談…だったのよね、おそらく。
セイは思った。
あの日から土方の様子に変わったところはないし、むしろ、セイの反応を楽しんでいるようにも見えた。
(十以上も下の者をからかうなんて!)
もうすっかり冗談と決め付けたセイは、わなわなと怒りに震えだした。
この一月の間、思い悩んだ自分が馬鹿らしい。
いつもより手の込んだ芝居で人をからかうとは、なんて大人気ないのだろう。
セイは手に取っていた物をぎゅうっと絞るように握り締めた。
「神谷さん。それ…」
セイの形相に恐れをなしたのか、隣でじっとセイの様子を見守っていた総司が遠慮がちに声をかける。
「あっ。」
セイが我に返って手元を見ると、繕おうと思っていた着物が哀れにも引き裂かれかかっていた。
慌てて力を緩め、くしゃくしゃに皺の寄った袖の部分を伸ばしてみる。
だいぶ力が入ったようで、ついた皺はなかなか伸びない。
だが幸いなことに元の綻び以外には破れた箇所は見つからなかった。
「その着物…私のですよね?」
「す、すみませんっ、沖田先生。」
「いや、着物はいいんですけど。―― 神谷さん、何か心配事でもあるんですか? このところ、少し変ですよ。
溜め息も多いですし…。」
総司の言葉にセイは思わず顔を上げる。
(心配してくれているんだ…沖田先生…)
野暮天だとばかり思っていた総司が、珍しく自分のことを気にかけていてくれたことが嬉しくてセイはじんわりと涙ぐんだ。
だが、総司が心配してくれているとはいえ、相談する訳にはいかない。
いや、逆に話せない。
思い悩んでいるということは、土方の告白に心が揺れ動いたということに他ならないからだ。
それに、今思っているように、土方の度が過ぎたいたずら心かもしれない。
総司に話す事によって大事になっても困る。
いえ、別に… セイがそう答えようと口を開きかけた時、総司が笑いながら言った。
「でも聞いたところで何も出来ませんけどね。私は考えることが苦手ですから。」
「……。」
「それに、そういうことは斎藤さんや土方さんの方が向いているんですよ。
斎藤さんは世情にも通じていますし、口も固いですし。土方さんもああ見えて情に脆いところがありますからねえ。
ふふふ、優しい鬼なんですよ、土方さんは。」
そう言ってにこにこと嬉しそうに笑う総司を、セイは茫然と見詰めた。
「大丈夫ですよう。斎藤さんも土方さんも悪いようにはしないと思いますよ。」
セイが無言であるのを不安の表れととったのか、総司は尚も笑顔で続ける。
「きっと神谷さんのいいように計らってくれますって。」
どんと胸を叩いて太鼓判を押す、総司。
結局、総司には届かないかもしれない…。
セイは今、痛切にそう思った。
総司は優しい。でもセイにだけ優しい訳ではなく、誰にでも優しい。
その無邪気な優しさがセイの心には痛い…。
そう、総司は子供のように純粋さと残酷さを併せ持つのだ。
そして、総司が生涯不犯の誓いを破ることはないのだろう。
セイは折角伸ばした総司の着物の袖をまたぎゅっと強く握り締めた ―― 。
何となく眠れなくてセイは一人、外へと出た。
遠くの方で隊士の誰それが遊びに繰り出すのだろう。嬉々とした声が風にのって聞こえてくる。
こんな時、鬱憤を晴らせる「遊び」がある男が羨ましい。
近くの樹にもたれかかりながら、セイは人知れず溜め息をついた。
本当は泣こうと思っていた。
泣いたらすっきりするような気がしたから。
でも何を悲しむというのか。
なかなか通じない総司への想いを?
否、それは覚悟の上だったはず。
セイにはわからなかった。
辺りはしんと静まり返っていた。
もう外へと繰り出す者も出きってしまったのだろう。
さわさわと風によって奏でられる新緑の葉音をききながら、セイはゆっくりと目を閉じた。
白い月の光が瞼の裏に柔らかく降り注いでくる。
それに身を任せているうちに自然に泣けてきた。
何が悲しいのかもわからず、ただ泣いた。
目を閉じたまま、静かに泣いた。
そして ―― 。
「やっぱり童だな。こんなところでべそかいてるなんざ。」
突然破られた静寂。
「ふ、副長!」
聞き覚えのある憎まれ口は、出来れば顔を合わせたくない人のものだ。
「何、泣いてたんだ? 誰かにいじめられでもしたのか?」
にやにやと笑う顔が憎たらしい。
「違います。それに、そんな大人気ないことをするのは一人しかいません!」
「ほおう、それは誰だ?」
「よく御存知だと思いますけど。」
セイが、土方をきっと睨んだ。
「知らねえな。俺には心当たりはない。」
すまし顔の土方に、これ以上言っても無駄と悟ったセイはふいっと横を向く。
土方はそんなセイの態度などお構いなしに、隣にやってきてセイと同じように樹に寄りかかった。
人二人が並んで寄りかかれるような大木ではないので、隣といっても真横という訳にはいかない。
また何かからかう気だな、そう思って身構えていたセイの予想に反して、土方は黙ったままそこにいる。
それはそれでセイには何だか居心地が悪い。
それにこうして黙ったまま二人でいると、土方のあの言葉を思い出してしまうではないか。
「俺にするか?」
「俺がお前に惚れてる、って言ったらどうする?」
昼間は冗談だと思えたのに、この場でまた動揺してしまうのは何故なのだろう。
セイは己の心の内を悟られないように、ほんの少しだけ土方に背を向けるように体をずらした。
「おいっ。」
土方の言葉にぎくりとする。
「神谷、お前、俺を避けていただろう?」
「そ、そんなことないですよ・・。」
「嘘言え! 俺と目が合いそうになった時、慌ててそらしやがったくせに。」
「それは…」
「それは?」
「それは…。副長があんな冗談で私をからかうから…」
ごくんと唾を飲み込んでセイが言った。
「冗談?」
その意外そうな土方の顔に驚くのはセイの方だ。
「だって、冗談ですよね?」
「否、と言ったらどうする?」
(この前からこればっかりだな)
土方が苦笑する。
「だって、私、男ですよ。副長は衆道が嫌いなはず…」
思わず大きな声をあげるセイを土方が掌を向けて制する。
ふっと笑みを零した土方をみて
「副長…まさか、知ってるんじゃ…」
セイが震える声で問う。
土方は答える代わりに、自分の唇に人差し指を縦に添えた。
セイは何が何だかわからなくなった。
では、土方は知っていたというのだろうか? セイが女子であるということを。
いったい何時ばれたというのだろう。
総司が打ち明けたとは思えない。
セイ自身も、女子であることを気取られないように、細心の注意を払ってきたはずだった。
そして、わからないことがもう一つ。
セイが女子であることを知っていながら、何故土方は黙認しているのだろうか。
本当なら詮議されて然るべきところなのに…。
「お前が冗談にしたければ、それはそれでいいさ。」
セイが何をどう考えたらよいのかわからないまま、それでも懸命に納得する結論を出そうと頭を巡らせていると、
土方はぽつりと小声でそう言った。
「お前が誰を想っているのかはわかっていたことだしな。それに、あいつが ―― 」
土方は先を躊躇うかのように突然言葉を切った。
そしてセイの様子を窺う。
「……」
躊躇った後、何か言おうとしたが上手く言葉がでてこない土方。
そして次の言葉に話の行き先を見定めようと、セイも黙ったまま待つ。
さわさわと風に揺れる枝先。
またセイの苦手な沈黙が訪れたというのに、前ほど気にならない。
憮然とした表面の顔とは裏腹に、土方の心の中に困ったような慌てたような本当の顔が見えるような気がした。
総司が言うように照れ屋の優しい鬼は、セイ以上に素直な気持ちを表すのが下手らしい。
おそらく、セイが今思っているよりもっと様々なことを知っているのだろう。
セイの気持ちは勿論、その相手のことさえも…。
(沖田先生が副長のことをよく知っているように、副長にも多分、先生のことがわかるんだろうなぁ…)
心の奥がつきんと痛んだ。
「かなわない」気がした。自分の想いも、総司の心を占める順番さえも ―― 。
「…俺にしとくか?」
再び降ってきたその言葉にセイは驚いて見上げた。
そう言った声の主は更に上を見上げている。
白い月の光が、土方のほんのり赤く染まった横顔を照らす。
その対比にセイはくすりと笑みを零した。
「何で笑う?」
むっとする土方に
「だって…」
と、セイは今度は声に出して笑った。
月夜でなければ闇に隠れたであろう土方の照れて赤くなった顔。
よりによってこんな綺麗な月夜だなんて…。
自分の気持ちに不器用な土方らしくて、セイには可笑しかった。
憮然としたままそっぽを向いている土方が、人として好ましく思えた。
もしかしたら、自分と同じ想いを抱えてきたのかもしれない。
報われないつらさはセイ自身も嫌というほど知っている。
「考えておきます…。」
もう一度土方に言われたら、今度はそう答えてみよう。
月の光が生み出した二つの影が仲良く並んでいるのを眺めながら、セイはそう思っていた。
素材提供 : 十五夜 様
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